私の頭の中の消しゴム
自分は考えが豊かで、知識もそれなりにあり、いつでも何かをアウトプットできる人間だと思い込んでいた。
しかし、こうして Apple ノートを開き、何か記事でも、ナレッジでも書こうとすると、何も出てこない。
普段の会話では、話し出すと止まらない。
頭の中にはいろいろあるはずなのに、文章にしようとした瞬間、手が止まる。
なぜだろう。
きっと、知識や情報や思想が、自分の中で完全には消化されていないのだ。
だから、自分の言葉として取り出せない。
情報をインプットし、保存し、整理したつもりになっていても、空白のページの前で引き出せなければ意味がない。
暗記したいわけではない。
名文を書きたいわけでもない。
ただ、自分の拙い言葉で下書きくらいはできないと、頭脳労働者としてまずいのではないかと思ってしまう。
AI を多用するようになってから、文章を本当に自分で書かなくなった。
仕事のメールは AI。
資料作成も AI。
言い換えも、要約も、構成も、壁打ちも AI。
自分で言語化する機会を、私は少しずつ AI に渡してきた。
AI は、私の頭の中の消しゴムだ。
厄介なのは、その消しゴムが、万能な辞書でもあることだ。
速さ、正確さ、効率、費用対効果。
どれを取っても、AI を使わない理由はない。
だから私は、これからも仕事で AI を使い続ける。
おそらく、今よりもっと依存する。
それでも、どこかで怖さがある。
AI は私の頭の中を侵食している。
現に、何か別のことを書こうと思って開いたこの記事も、結局 AI の話になってしまった。
本当に笑えないジョークだ。
ただ、久しぶりにこうして、自分の手でタイピングしていると、少し心地いい。
たぶん私は、どれだけ文章を書いても AI には勝てない。
構成力でも、語彙でも、速さでも、正確さでも勝てない。
でも、もうそれでいい。
文章を書く目的は、AI に勝つことではない。
自分の精神のバランスを整えることだ。
仕事では AI を使う。
効率のために使う。
成果のために使う。
それは変えない。
けれど、隙間時間や、少し落ち着いた時間に、何かを求めない文字書きを習慣にしてもいいと思う。
上達しなくてもいい。
評価されなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
書いているこの瞬間だけは、私の頭の中のノートが、あの消しゴムに消されない。
それだけで十分だ。
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